アドリブの練習を始めてから、どうやったらスラスラ弾けるようになるんだろうなあ…と常々考えていますが、私の中でこうなんじゃないかという仮説とともにあるキーワードが浮かびました。
それは、「無意識」です。
演奏中に「考える」ことってすごく多いと思うんです。特に私はアドリブを弾く時の脳内会話がとんでもないことになります。
けれど、思い切って「考えない」ことも大事だと思い始めました。
ここで無の境地とか、そういうのが言いたいのではなくて、脳に「考えるスキマ」を作ってあげるために「考えない」というお話です。
考えないといったり、考えるといったり…どういうこと!?感じですよね。ここからは、私がそう思ったきっかけも交えてお話していきたいと思います。
自転車のたとえ
自転車の練習をしたことがある方は、ちょっと思い出してみてください。
ペダルに足を乗せる順番、地面から足を離した時のバランス感覚…走る時に崩れるバランスをハンドルでどうにかする…
はじめは倒れないように、あらゆるところに神経を尖らせていたはずです。
それが、乗れるようになると、何も考えなくとも周りをよく見て障害物を避ける、危険を予測する…など、倒れないようにバランスを取る以外のことができるようになります。
「自転車に乗る」という動作を無意識でやれるようになっている状態です。
無意識でやれるということは、反復練習により身体に染み付いて、「考えなくてもできる」境地に至るということなのかなと思います。
もう一つ、わかりやすい例えでいうと、お風呂で体を洗う一連の動作を何も考えずスムーズにできるあの感じです(だから、何か考え事してるとどこまでやったか忘れちゃうw)
この無意識であることが、演奏にも通ずるのではないかと思いました。なぜそう思ったのか、考察していきたいと思います。
無意識のメリット
演奏する時に無意識状態を作るメリットは何でしょう?
自転車やお風呂と同じく、無意識でできることが増えれば増えるほど、その動作にまつわる思考をしない分、他のことを考える隙間ができます。
アドリブ弾く時って、私はいろんな思考が駆け巡って脳内がパンクしてしまうんです。たとえばこんな感じで…
えーと、こっからサビに入るから練習したフレーズ弾こうかな…
えっ!思ったよりめっちゃ静か!!何弾こう!?
とりあえずこんな?
…ん??あれ?今の音合ってた?
「練習したフレーズを弾こう」と考えること自体は良いと思っています。チャレンジするのは大事。
なんですけど、アドリブを弾くということは、予想外の事態が発生したりすることもあります。
ただでさえ人前で演奏する時って、緊張していて周りのちょっとした変化にも敏感に反応してしまう。
こういう時に、もっと思考できる余裕があると、落ち着いて周りを見ること、周りの音をもっと聞くことができます。
私の場合は「弾く内容」をすごく気にしてしまう節があるので、「弾く内容」を考えすぎず、無意識でできる割合を増やしていけると良いのかなと思いました。
↓こちらはそんなことを考え始めた時に書いた、練習方法に関する記事です。
実は有名な映画や漫画にも…
この無意識の話って、実は「主人公が修行する物語」でよく取り上げられています。私の知っているものだと例えばこの3つ。
- ベスト・キッド(The Karate Kid)
- ドラゴンボール
- 鬼滅の刃
「ベスト・キッド」は、いじめられっ子の少年ドレがカンフーを通じて成長するお話で、ハンという師匠とのこんな修行の場面があります。
ドレにさせることといえば、上着をハンガーに掛け、取り、着て、脱ぎ、落とし、拾い、そしてまた掛ける、という動作を繰り返させるというカンフーとは関係なさそうなことしかしない。うんざりしてついに抗議するドレに、ハンはその動作がカンフーの技に直結することを理解させる。
wikipediaより
つまり、日常生活で必要な動作を反復することで、カンフーの技も無意識に出せるようになる修行です。
「ドラゴンボール」では、悟空と悟飯の親子がスーパーサイヤ人の状態で普段どおりの生活をするという修行をします。
「鬼滅の刃」でも主人公が似たようなことをしていて、身体能力を向上させる「全集中の呼吸」を戦闘時だけでなく、日常生活でも常に行えるようにする修行を通してより強くなるエピソードがあります。
いずれのお話も、必要な動作を無意識にできるようにする修行です。
余談ですが、宝塚の男役の方も日常的に「かっこいい男役の仕草とは…」を意識されていて、「男役10年」という言葉があるほど完成には時間がかかるとか。
この「無意識」というのは一朝一夕には身につかないけれど、習慣になってしまうくらいに手に入れることができたらめちゃくちゃ強い…ということがこれらのお話からもよくわかります。
演奏を楽しむために
今までの自分の経験を振り返ると、無条件に演奏を楽しめていたのは高校生くらいまでだった気がします。
それ以降は、どうしても演奏中「弾いている内容」を気にしすぎていたり、楽しんでもいるけど、同時に脳内反省会が開かれていたり…
無条件に演奏を楽しむには、楽しむだけのスキマを空けておくことが必要なのではないかと思うのです。
高校時代は、練習時間もたくさんあったし、本番中に譜面は置いていたけど見てなくて、なんなら指板も見てなくて…くらいに弾く内容は無意識化されていて、今よりもっと視野が広かった気がします。
だから、とっても楽しかったという記憶の方が強く残っています。
結局のところ、もっと楽しむために練習がんばる!ということにはなってしまうのですが…闇雲に練習するのではなく、「無意識の割合を増やせる」という方向の練習を試していきたいと思っています。