自分の考えのクセで何かに縛られてしまうことはありませんか?
私の場合、ギターを練習している時だけに限らずですが「正解を探そうとすること」がそれに当てはまります。
その中でも、特にアドリブ演奏の場面でこのクセが現れたときは都合が悪いなあと感じています。似たようなご経験のある方、いらっしゃるのではないでしょうか?
今回はアドリブ演奏と正解探しについて考えてみたいと思います。
正解探しとは?
アドリブ演奏の時にどの音を弾けば合っているのか考えすぎてしまい、うまくいかないことがあります。私はこの現象をアドリブの正解探しと呼んでいます。
以前、「理論と感覚の絶妙なバランス」という記事で書いたのですが、私は演奏のときに頭で先に理論を追いかけてしまうクセがあります。
アドリブは本来は歌から来ているので、理論をいちいち考えているわけではないはずです。かっこよく演奏したいけれどうまくいかないのは正解探しをしてしまうばかりに歌っぽい要素が抜けてしまうためだと考えています。
音楽理論というのはあくまでその歌い方がかっこいい理由を説明して体系的に理解する助けになるものだ、と頭でわかってはいるのですが…ついつい正解探しをしてしまいます。
考えのクセ
理論は現象を説明するためのもの、とわかっているのになぜ正解探しをしてしまうのか。それは性格や考えのクセが影響していそうです。
私はちょっと完璧主義っぽいところがあります。これは今までの自分を振り返ってもそう思いますし、客観的な診断をしてもそういう傾向が出るので、誰から見てもきっとそうなんでしょうね。
はじめから100%を求めて取り組むクセがあって、普段から正解を最短距離で探して効率よく辿り着きたいという動きをよくします。
完璧にとらわれすぎないようにしたいのですが、考えのクセというものはこれまでの人生で積み上げられてきたものなので、簡単に離れてくれるものではありません。
なので正解探しをしていそうと気付いた時に、もう一人の客観的な自分が諭してあげるといった具合に自分の考えのクセとうまく付き合うしかないのかなあ、と思っています。
嫌じゃないけど、厄介ですね。
正解探しは悪いことなのか?
ここまで正解を探すことをあまり良くないことのように書きましたが、そもそも正解探しって悪いことなのでしょうか?
私は正解が明確にあるものであれば、それを最短距離で探すほうが効率が良いと思っています。たとえばダイアトニックコードを本を見て覚えるなどの正解探しは「アリ」です。
ところがアドリブ演奏の場合はひとつの正解がなくてあらゆる可能性があるものです。理論は置いといてかっこいいものはかっこいい。自分の体感値ですが、ここで正解探しをしてしまうとうまくいかないことが多いです。
なので、アドリブの練習をしている時は頭を使いすぎない方がうまくいきやすいのかなと思っていて、絶賛正解探しのクセを手放し中です。難しい。。
最後に
よく音楽は言語に例えられますが、外国語もそうですよね。完璧に言おうとしていると単語が出てこなくて伝えたいことが伝わらない。
私は大学受験のとき英語で点数を稼いでいたほうなのですが、実際に会話になると苦手意識があります。。
以前、Julian Lageのライブ後にCDを買って、彼とお話できた時にはシンプルな2単語くらいのカタコトマンでした。それでも想いは伝わっていたはず。たぶん!
完璧じゃなくたって、伝わる時は伝わるんですよね。きっとアドリブ演奏もそういうものなんじゃないかなあと最近感じています。
相変わらずアドリブは練習のしかたの正解が見えずモヤモヤしているのですが。笑
あまり肩に力を入れすぎず練習していこー!と思うのでした。